漫画家
いがらしゆみこ

1950年旭川生まれ。高校3年でプロを目指し上京、東京の高校へ編入・在学中に「白い鮫のいる島」でデビュー。1970年頃から講談社少女漫画雑誌「なかよし」の専属に。1975年から同誌で連載を始めた「キャンディキャンディ」は大ヒット、アニメ化もされた。その後も「メイミーエンジェル」、「はずんでリボンちゃん」「ジョージィ!」などを発表。小説やレディースもの、歴史もの、コメディからサスペンスまで幅広く漫画化するほか、エッセイや執筆活動、講演会、TV出演など活動は多岐に渡る。プライベートでは大の動物好きで、現在は11匹の猫にオウムとインコ、2匹のエゾリス、180匹の金魚と同居中。金魚が「ゆらゆら」泳ぐ姿に癒され、「キラキラ」光る天然石を集めるのも趣味の一つ。芸術・文化NPO法人 アーティスティック アコード アソシエーション顧問。

http://www.candycandy.net/

 

 


「開拓史に想いを寄せ、北海道の開拓とクロスオーバーさせながら描いた」という「メイミーエンジェル」。西部劇の開拓史もの。

 


毎年恒例の浅草寺で開催される「納めの観音・浅草羽子板市」に展示、オークション用のチャリティ羽子板を製作中の様子。

 


11月某日、プリンスホテルにて開催されたイベント「クラフトフェスタ」でのトークショーの様子。押し花作家・たけだりょうさん(写真中央)とのコラボ作品を前に、訪れたお客さんとの質疑応答も。

 

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漫画家になる事しか頭になかった。

76年にTV放映されると同時に、当時の少女たちがこぞって夢中になった「キャンディキャンディ」。孤児院育ちでそばかす、鼻ぺちゃが特徴の女の子が主人公のアニメだ。

どんな逆境にも負けずに明るくひたむきに立ち向かうキャンディに勇気づけられた人も多いのではないだろうか。

その国民的人気アニメの著者・いがらしゆみこさん。物心がついた幼少期から絵を描くのが大好きで、「鉄腕アトム」や「リボンの騎士」などマンガも夢中で読んだ。マンガで字を覚え、中学校の頃にはすでにマンガを描き始める。とにかく漫画大好き少女だったのだ。

「紙をあずけておけばそれに絵を描いて、 1 日おとなしくしている子だったんです。学校でも絵が上手な子は壁に張り出されるんだけど、私はその常連で、それが幼いながらにプライドになっていたんだと思います。とにかく自信はありましたね(笑)」

デビューは早く、高校3年生の夏。すでにプロとしてデビューが決まり、上京した先輩に付いて自分も上京することを決意。

「大学には行く気もなかったし、勉強も嫌いだし(笑)、私は漫画が何より大好きで、“漫画家になるしかない!”って思っていましたから。上京して直接、集英社少女漫画雑誌「りぼん」の編集部に自作の漫画を持ち込んで、編集者に会ってもらったんです」

のびやかなタッチが気に入られ、その場でデビューが即決。すぐに「りぼん」増刊号でデビューを飾ることになる。その後も講談社少女漫画雑誌「なかよし」の専属契約を 19 歳で獲得し、とんとん拍子のスタートを切った。

その運気をさらに飛躍させる転機が訪れたのは、後に大ヒットを飛ばす「キャンディキャンディ」との出会い。 24 歳の頃だった。

「それまでは学園ものを描いていたんです。ところがある日、担当の編集さんが“少女ハイジ”のような親子で見られるものを少女漫画でやってみたいと言って。私も“足長おじさん”とか“赤毛のアン”とか、そういうのは大好きで一通り読んできたので、楽しくできそうだなと思ったんです。それが『キャンディキャンディ』との出会いですね」

 

必死で駆け抜けた東京での忙しい生活。

17 歳で子供の頃からの夢だった漫画家デビューを果たし、本人曰く「怖いもの知らず」でプロの世界へ。 24 歳では国民的大ヒット作にも恵まれた。『キャンディキャンディ』は 75 年に連載してすぐに大ヒットとなり、翌年にはアニメ化。 77 年には第一回講談社漫画賞も受賞した。

とはいえ、 20 代、 30 代の頃は様々な悩みや辛さも経験し、必死で駆けぬけてきた。

「眠る時間はほとんどないし、思うように描けないし。意識すればするほど、どんどん下手になっていく時期もあって、本来の力量を発揮できずに悩んだこともありました。1つのポーズが決まらなくて、 1 コマ描くのに 3 時間も 4 時間も悩んだり…。 20 代、 30 代はそりゃもう、必死でしたよ」

月に 2 〜 3 本の連載と読みきりを抱え、一時はひと月に 120 ページもの枚数をこなしていたことも。

そんな忙しい日々を経て 2001 年 5 月、故郷である北海道へ戻ることを決意。

「昔と比べると今はずいぶん宅配事情が発達したし、地方でも連載が可能な時代。そんななか、むりやり東京にいる意味がなくなった気がしてね」

忙殺される毎日を過ごしていた東京時代から一変、自然に囲まれた穏やかな北海道へ戻り、心境にも大きな変化が訪れた。

「故郷に戻ってきて違う環境に自分を置くことで、固定概念が外れて自然体に戻れたんです。東京にいた頃は仕事がこなくなったらどうなるんだろう?とか、次の仕事どうしよう?とか不安や焦燥感、危機感であくせくしていました。それが戻ってきてからは全部なくなったんです」

 

原点に戻してくれた故郷に「ありがとう」。

もともと好きで飛び込んだ漫画の世界。それが忙しさに紛れて、一体誰のために漫画を描いているのか分からなくなっていた。読者のためか、自分のためか、本のためか、またはスタッフの生活のためなのか−。

忙しさが生み出した歪みが北海道でのマイペースな生活スタイルによって完全にリセットされ、本当に漫画が好きでしょうがなく、楽しく描いていた原点の自分に戻ることができた。

「漫画を描くのは誰のためでもなく、ただ好きで楽しいだけ。そこが私の原点。呼吸するように好きだった漫画、その純粋な想いがまた芽生えてきたんです。だから今度は原点に戻らせてくれた北海道に、色んな形で“ありがとう!”と恩返しをしていきたいんです。ふるさと大事にしてナンボよ(笑)」

豊かな自然環境に恵まれた快適な北海道での生活を通じて、漫画家としてやるべき事も見えてきた。

「あのね、『キャンディキャンディ』を読んで看護婦さんになったという人って、すごく多いんですよ。そういうような形で、人生をいい意味で示唆できる作品を描くとか、自分を見詰め直せるような優しい漫画を描いていきたいと思うようになりました」

56 歳で現役。しかも自分の好きなことを 10 代のうちに見つけ、それを仕事として続け、来年は漫画家生活 40 周年を迎えるいがらしさん。

同じ女性として、今の 20 代、 30 代の女性に何か言いたいこと、メッセージはありますか?と質問してみた。

「失敗を恐れないこと。絶対 20 代、 30 代の失敗なんて長い人生の中で取り戻せるから。今は人生 80 年以上の時代。ちゃんと苦しんだ分、後でお返しがくるの。だから今はいっぱい苦しんで、いっぱい悩んで、いっぱい失敗しても大丈夫! 50 歳になったらその時の経験を笑おうと思えば、元気が出てくるよ。どんな経験も自分の財産。 50 歳を過ぎて過去の色んな失敗も笑えるカッコイイ女になってください。そのために今はアンテナをいっぱい張って、好奇心を持って生きてね!! 」

 

私のお気に入り

■ロドリゲス

「2004年11月29日に野良から飼い猫に昇格?した猫です。名前はロドリゲスで、みんなからはロドと呼ばれて可愛がられています」

■金魚

「朱文金と出目金のハーフの雅(みやび)ちゃん。とても可愛いです。うちには金魚が180匹もいますが、1匹ずつみんな性格が違うので見ていて飽きないし面白いですよ」

■タンビュライト

「“おたんびゅちゃん”と呼んで大切に保存している天然石のタンビュライト。友人からいただいたものですが、私が天然石にはまったきっかけとなった石です」


 

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【編集後記】

現役少女の心を持った女性。

 「わ〜!かわいい、キレイ、楽しい、嬉しい」。いがらしさんは、何度でも目を輝かせながら、言葉と態度で感情を表現する。感情豊かで天真爛漫。その姿は、まるでキャンディそのものだった。

今後は社会貢献や漫画文化の啓蒙活動にも力を注いでいくそうだ。市民対象の塗り絵教室とか、漫画研究会がある市内の高校などへも訪問したいとか!(教えてもらえる生徒が羨ましい)。またいがらしさんは「風の船」というNPO法人にも参加している。世界の逆境に生きる子供と女性支援などに力を入れている団体だ。

参加理由を尋ねると、「最初に私に力をくれたのは、子供の読者だから」と即答でかえってきた。それを聞いて、当事者でもないのに何だか感動してしまったのだ。自分もまさにその当時、アニメを見て育った子供だったから、何か繋がった気がしたのだ。

その世代としては、あの『キャンディキャンディ』の作者に会えるなんて感激で、ちょっと信じられないことだ。眠る時、キャンディの枕カバーを大事に使っていた子供の頃の自分に教えてあげたい。大人になるのも、捨てたもんじゃないよ〜、と。

取材・文/金繁 美由紀