BEER STORY

06函館戦争

帰国の2年後、歴史は大きな転換期をむかえます。

年号は慶応から明治へと変わりました。旧幕府軍と新政府軍の戦い、戊辰戦争で、村橋は加治木砲隊長として250名の部下をひき連れ、黒田清隆とともに東北各地を転戦しました。

村橋が歴史に登場する第2の舞台は、戊辰戦争の最終局面、箱館戦争でした。
箱館戦争に関するさまざまな戦記に、村橋の名前が登場します。
新政府軍の軍監として軍の指揮にあたっていた村橋は、榎本武揚に降伏を勧告して講和に導いた、戦争終結のキーマンでした。

新政府の陸軍総参謀・黒田清隆は、オランダで高度な学問を学んだ榎本武揚のすぐれた才能をうしなうのは国家の損失だと考え、榎本をうしなうことなく戦争を終結させようと、使いをたてて榎本に降伏を勧告しました。
その講和交渉の任務にあたったのが、軍監の村橋でした。

旧幕府軍が降伏したのは、村橋らによる勧告から5日後のことでした。
村橋は、黒田・榎本の講和会議の場にも立ち会っています。

箱館戦争が終結したのは、明治2年(1869)5月のことです。

この2年後、同郷の黒田清隆が開拓次官(長官を兼務する事実上の最高責任者)に就任し、北海道開拓事業が立ち上がった直後、村橋は黒田に招かれ、開拓使に入ります。
やがて村橋は、北海道開拓、そして近代的な産業おこしに命を燃やしつくすことになります。

黒田清隆
黒田清隆